フランス語や英語では、点字のことをルイ・ブライユの名前からBraille(ブライユ)と言います。そのことからも分かるように、ブライユの考案した点字は目にハンディキャップを持つ人々にとってたいへん役に立つものとなりました。そのブライユがどうして点字を考え出すにいたったのか、ブライユの生涯を年表で見てみましょう。
青の言葉をクリックすると、関連する地図やホームページが開きます。
年号
年れい
事がら
1809年
1月4日
 
フランス に生まれる。
1812年
3才
で、遊んでいる最中(さいちゅう)にとがったものがかた目にささり、かた目を失明。のちにもうかた方の視力も落ちてしまう。
1814年 6才 クーブレ村のジャック・パリュイ神父により教育が始まる。
1815年 7才 アントワン・ベシュレ、クーブレの学校にルイを生徒(せいと)としてみとめて入学させる。
1819年 10才 パリにあるがつくった世界初の王立盲(もう)学校に入学。
1824年 15才 3年間の工夫の末、バルビエのソノグラフィーを改良(かいりょう)し、アルファベットを6つの点と小さな線の組み合わせで書き表す方法を作り上げる。
1827年 18才 フランス語文法の本がルイの6つの点による文字にほんやくされる。
1828年 19才 盲学校の助教員になり、楽ふを点字で書く方法を工夫し始める。
1829年 20才
『点を使ってことば、楽ふ、かんたんな歌を書く方法―盲人のためにつくられた盲人が使う本』を出ぱん。
が正式にたん生
1831年 22才 父シモン・ルネ死去。
1834年 25才 パリのコンコルド広場で開かれた工業博らん会で、6つの点を使う点字を公開。
1837年 28才 盲学校の先生と生徒がルイの点字を使った本を初めて作る。
1839年 30才
アルファベットの形に点を打って、目の見える人にも読めるという方法を完成。
1840年 31才 ピニエ盲学校長がやめさせられ、デュフォーが校長となる。
デュフォーはルイの点字を使うことを後にきん止する。
1843年 34才 以前からわずらっていた結かく(重い病気)がひどくなり、クーブレ村で6か月間体を休める。
11月、新しい盲学校の校舎(こうしゃ)が完成。
1844年 35才 新しい盲学校が開校。
公式にブライユ点字の使用がみとめられる。
1847年 38才 ブライユ・タイプライターが完成。
1852年 43才 1月6日、ルイ・ブライユ、結かくのため死去。
 
 
   
・「伝記 世界を変えた人々(8) ブライユ」 ビバリー・バーチ / 偕成社
・ 「点字発明者の生涯」 ピエール・アンリ /朝日新聞社
 
   
http://www.brailleliga.be/fr/infos/louis_braille/avant_braille.asp
http://www.brailleliga.be/fr/infos/louis_braille/louis_braille.asp

(Ligue Braille)

http://www.braillenet.org/louis_braille/maisnat.htm

(Braille Net)

▲このページのトップに戻る