若い先生方との自主的な研究会では、とにかくよく話し合いをします。彼ら
はいったん話し始めると、話が止まりません。年度末評価で、学校の一年間の
まとめが終わり、次年度の教育課程が決まってくるこの時期、彼らの心はもう
来年度に向いています。
そんな希望と不安にあふれた話し合いに参加して、私は、改めて若手の先生
方の気持ちにふれることができました。彼らの気持ちは、だいたい次の三つに
まとめることができると思います。
まず、若い先生方は、30歳になれば教育力が完成すると思い込んでいるこ
と。次に、子どもたちのためにやれることがあれば、どんなことでも挑戦した
いという気持ちをもっていること。最後に、学校という共同体にどうやって参
加していいのかを迷っていること。
今回は、この三つのうち、最初の二つについて考えてみたいと思います。
一つ目の、30歳になれば教育力が完成するということですが、これは、さ
まざまなことを体当たりで覚えていく時期にある若い先生方にとって、完成さ
れた教育力というものが存在すると感じるのも無理ないことでしょう。
しかし、完成された教育力というのは、本当にあるのでしょうか? 教材の
指導法は、いろいろとあります。それに長けている先生が、大勢いらっしゃる
ことも事実です。でも、教育力とは、教材の指導法だけではないのです。それ
は、学校目標を見れば明らかです。
30歳で教育力が完成すると考えている若い先生方に、ぜひ伝えたいことが
あります。それは、教育力というものは、作っては壊し、作っては壊しの連続
で、いつまでも完成することはないということです。教育は、今、目の前にい
る子どもたちとのやりとりがすべてです。先生の中にある知識を子どもの中に
注入するだけでは、子どもは育ちません。勉強するということは、わかるとい
うのはどういうことかを、わかっていくことなのです。そして、わかるという
ことをわかった子どもは、自分がわかることや納得していくことに楽しみを見
いだします。こうして、子どもは知的好奇心のかたまりになっていくのです。
そのためには、効率的な指導法を用いて定型的な学級経営を行うだけでなく、
子どもたちの中にある可能性を引き出し、一人一人の特性を、子どもたち自身
に気づかせなければなりません。子どもたちはみんな、知的好奇心をもってい
ます。ですから、一人一人の興味関心に合わせ、その子に合った方法で知的好
奇心を刺激してあげるのが教師の役目ではないでしょうか。そのためには、子
どもとの対話が大切です。対話の中からその子らしさを見いだすことが、知的
好奇心を引き出すことにつながっていくのです。
次に、二つ目の、子どもたちのためになんでもやってあげたい、という気持
ちをもっていることについては、その気持ちをずっともち続けてほしいと心か
ら思います。そして、その気持ちをふり返ってみる力が、若い先生方の中に育
ってくれることを願ってやみません。
「教育は人」、というのは真理だと思います。子どもたちは、先生の背中を
見て育ちます。今風に言えば、先生もまた学習環境だ、ということです。
先生が提供する学習は、教科書などの、「見えるカリキュラム」で行われる
学習だけではありません。先生の言葉遣い、善悪に対する考え方、人への接し
方など、さまざまな「見えないカリキュラム」で子どもたちは学習しているの
です。これらの「見えないカリキュラム」は、子どもたちにさまざまなチャン
スを与え、モデルとなるのです。その意味で、やはり「教育は人」といえると
思います。
しかし、子どもたちのためになんでもやってあげたい、という気持ちが、子
どもたちにとって必要なものを見えなくさせてしまう場合もあることを、若い
先生方にはしっかりと覚えておいてほしいと思います。教室は、先生のやりた
いことに子どもたちが付き合う場ではありません。子どもたちにとって最終的
に必要なことは、「先生がいなくてもできる」ということなのです。つまり、
先生の存在がだんだんと薄れていって、最後には先生がいなくてもできるよう
になってくるところに、子どもたちの成長があります。若い先生方がそのこと
に気づいてくれれば、教育の奥深さもわかってくるでしょう。
三つ目の、学校という共同体にどうやって参加していいかわからない、とい
うことについては、次回に詳しく考えていきたいと思います。
(続く)
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